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札幌高等裁判所 昭和61年(く)22号 決定

少年 Z・Y(昭41.7.21生)

主文

本件抗告を棄却する。

理由

本件抗告の趣意は、少年及び父母提出の抗告申立書に記載されたとおりであるから、これを引用する。

一  まず、本件抗告申立の効力について検討を加える。

一件記録及び当審における事実取り調べによれば、原決定につき少年とその親権者である両親が協議した結果、抗告を申立てることとし、抗告申立人欄に両親がそれぞれ署名押印し、少年はすでに少年院に収容されていたため母親において少年の署名を代書しその名下に少年の印を押捺して、昭和61年7月17日頃両親と少年連名の本件抗告申立書を作成し、抗告申立期間の最終日である同年7月21日に母親が原裁判所へ持参、提出して抗告を申立たものであるが、その提出に際し、抗告申立人欄の少年の記名押印を、母親において誤つて縦線を引いて削除したことが認められる。このように、右削除は、少年の意思に基づかず、母親の過誤によつてなされたことが明らかであるから、右少年の本件抗告の申立は、右削除にもかかわらず、有効であると解するべきである。そして、少年は右抗告申立の日の7月21日にちようど成人に達したことが認められるから、親権者ではなくなつた両親は、もはや少年のために独立して抗告を申立てる権限はなく、したがつて、両親の本件抗告の申立は不適法である。

二  所論は、原決定のした処分は著しく不当であると主張するものである。

そこで、関係記録を調査すると、原決定の認定する少年の「非行事実」及び「処遇の理由」の項において指摘された諸事実はすべてこれを肯認することができ、なお少年調査記録に現れた諸事情を合わせると、本件は、少年が、友人から暴行を受けたのは、被害者の右友人に対する告げ口のためであるとして、原判示のA(当時22年)と共謀の上、被害者を連れだし、Aの運転する普通乗用自動車内や、被害者の勤務する会社、あるいは、いわゆるサラ金会社等において原判示の脅迫を加えて金員を喝取しようとしたが、被害者において警察に届出たため、その目的を遂げなかつたという事案であるが、未遂とはいえ非行の態様が執ようであり、共犯のAが主たる役割を果たしたことは否定できないにしても、少年の果たした役割も決して軽視できないものであるなど、非行に至る経緯、非行の動機及び態様がよくない上、少年は、中学生のころから次第に生活が乱れ、いわゆる突つ張りの度が増して、シンナー吸引、無断外泊、万引き等の非行を重ねるようになり、中学校卒業後間もなく短靴の万引きで家庭裁判所に係属したこと、また、中学校卒業と同時に入学した職業訓練校も長続きせずに中退し、友人の家を泊まり歩いて家にはほとんど寄り着かず、暴走族に興味を持ちバイクの無免許運転を繰り返すなどしたこと、昭和57年9月には、共犯少年と普通貨物自動車を窃取し、これを無免許運転して事故を起こし、同乗していた共犯少年に重傷を負わせた非行により、再び家庭裁判所に係属し、昭和58年4月保護観察の処分に付され、一時期真面目に仕事をしていたが、再度生活が乱れ、自動二輪車の無免許運転、シンナー吸引等の非行を繰り返しているうちに、ついにはシンナーの常用を断つため、病院に入院させられるに至つたこと、しかし、1年数か月経過して退院間近のころ、入院中に知り会つた暴力団関係者らに誘われて病院を抜け出し、暴力団の事務所に居たところを発見されて、警察官や父親等に自宅に連れ戻されたこと、その後間もなく出稼ぎに行き、昭和61年4月実家に戻り、以来これといつた仕事にも就かず、原判示のA、B兄弟らと付き合ううちに本件非行に及んだもので、以上のような少年の非行歴、生活態度、少年の資質、性格上の問題点等を考慮すると、少年の非行性はこれを看過することができず、加えて、前記のとおり少年は昭和58年以来付されていた保護観察も、少年が保護司との面接に積極的でないこともあつて、奏功しなかつたものであり、少年の両親において少年の更生に努力していることなどを考慮しても、本件非行に至るまでの経過、少年の非行性の程度等にかんがみれば、その指導力は必ずしも十全なものとはいえず、少年の要保護性は高いと認められ、少年をこのまま放置すれば、再び非行に陥る危険性も否定しえないので、その非行性を矯正するためには在宅保護の方法によつて成果を期待することは困難であり、施設内における集中的専門的な矯正教育が必要と認められ、したがつて、少年を中等少年院に送致する旨言い渡した原決定の処分(ただし、本件非行の共犯者であるAに対する処分の状況に加えて、原決定後、両親において被害者との間で示談を成立させたこともあつて、被害者においても宥恕の意思を表明するに至つていること、両親の少年の更生に対する熱意及び保護環境の整備に対する努力等をも考慮すると、少年に対しては短期処遇勧告をするのが相当であると思慮される。)は相当であり、それが重すぎて著しく不当であるとはいえない。論旨は理由がない。

よつて、本件抗告は理由がないから、少年法33条1項後段、少年審判規則50条によりこれを棄却することとし、主文のとおり決定する。

(裁判長裁判官 水谷富茂人 裁判官 高木俊夫 平良木登規男)

勧告書

昭和61年9月5日

札幌高等裁判所第三部

裁判長裁判官 水谷富茂人

裁判官 高木俊夫

裁判官 平良木登規男

北海少年院長 殿

少年 Z・Y

昭和41年7月21日生

本籍 北海道江別市○町東×丁目××番地

住居 北海道江別市○町○×丁目×番地の××

職業 家業(建具製造販売)手伝

右少年に対する当庁昭和61年(く)第22号保護処分決定に対する抗告事件(原審札幌家庭裁判所昭和61年(少)第1848号恐喝未遂保護事件)につき、当裁判所は、昭和61年9月4日抗告を棄却する旨の決定をいたしましたが、その理由中において示したとおり、少年を一般短期教育課程を受けさせるのを相当であると判断いたしました。

よって、同教育課程にもとづき少年を処遇されるよう、少年審判規則第38条にのっとり勧告します。

〔参照〕原審(札幌家 昭61(少)1848号 昭61.7.7決定)

主文

少年を中等少年院に送致する。

理由

(非行事実及び適用法条)

司法警察員作成の昭和61年5月23日付少年事件送致書に記載の犯罪事実(ただし「C」を削る。)及び適用法条と同一であるから、ここにこれを引用する。

(処遇の理由)

少年は、昭和58年4月19日窃盗、道路交通法違反、業務上過失傷害の各非行により札幌保護観察所の保護観察に付する保護処分を受け、総合高等職業訓練校に入学したものの中退してしまい、その後シンナー吸入が続き、昭和59年9月には治療の為○○病院に入院し治療効果もあがりつつあつたが、昭和60年11月には入院中に知りあつた覚せい剤中毒者等に誘われ病院から脱走、入院中の知人の紹介で暴力団事務所に世話になつた。

そして両親と警察の協力により暴力団から抜け出せたが、昭和61年4月ころから再び暴力団関係者との交際が始まり本件非行に至つたものであるが、少年のこれまでの行動及び性行並びに少年の現在の生活環境、両親の監護養育の姿勢に鑑み、今後少年に年齢相応の責任の自覚、主体的判断力及び自己統制力を身に付けさせて少年を健全に育成するには施設に収容のうえ規律ある生活の下に矯正教育をする必要があると認めるので、少年法24条1項3号、少年審判規則37条1項を適用して主体のとおり決定する。

参考 司法警察員作成の少年事件送致書の犯罪事実

被疑者は、約束を果さなかったため友人から暴行を受けたのは、Dの告げ口によるものだ、としてA、Cと共謀して右D(当時18歳)から金員を喝取しようと企て、昭和61年5月6日午後8時0分ころ、同人をAの運転する普通乗用自動車(札××や××××)に乗用させ、江別市○町付近を走行中の車中において、被疑者の受けた顔の傷を示し、同人に対し「これどうなったか知っているべ、うちのおやじが指をもらって来いと言っているが慰謝料10万円にしてやる」「15日と25日に取りに行く」等と申し向け、金員交付を要求し、さらに同年5月10日午前4時30分ころ同人を車内に引き入れ、江別市○○町×番地付近路上において、同人に対し「今月中に3万円作れ」「会社から前借りして来い」「サラ金から10万円借りて来い」等と申し向け同人の勤務する会社、及びサラ金会社まで同行する等執拗につけ回して金員交付を要求し若し、この要求に応じなければ同人の身体自由にどのような危害を加えるかも知れない気勢を示して脅迫し同人を畏怖させたが、同人が警察に届出て要求に応じなかつたためその目的を遂げなかつたものである。

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